進路未定無職

隙あらば自分語りする場所です

置かれた場所で咲く人生

先日、バイト先の後輩ちゃんに話の流れで「先輩は死ぬのは怖くないんですか?」と聞かれた。結論から言うと怖くは無い。それに伴う苦しみ(痛みなど)はめちゃくちゃ嫌だから老衰とかでぽっくり死んでて翌朝家族に発見されましたとかだと最高なんだけどなにげに長生き出来てしまう程医療が発達したこのご時世、長生きしつつ楽に死ぬのは難しそうだ。

 

生きてればこういう風に生死とかそれに付随する人生の意味とかについて語り合う機会とかに何度か遇うと思うのだが、私は人生に与えられた意味は無いと思う。私は生命科学を大学から専攻していて、小さい頃から図鑑などで勉強していたのだが、結局のところ生き物は所詮DNAを後世に繋げていく為の箱に過ぎないのだというのが今のところの私の結論だ。ここにいるのは私じゃなくても良かったしあなたでも無くても良かったし何なら多分人間ですら無くても良かったのだと思う。

 

こんだけ生きるということには意味が無くて別に頼んでも無いのにFGOもびっくりするほど低確率の卵子精子ガチャで見事排出されて、しかも顔が死ぬ程良いとか実家がめちゃくちゃ金持ちで親が優しいとかだったら良かったけど大体はそんなことはなく、私のようにブスで頭も悪くてアトピーという三拍子揃ったドブなパターンもあるし、日本ならまだしも内戦中の国とかに産まれたら産まれてすぐ死ぬとか本当に有り得ることで、人にもよるけど人生ほど非生産的で悲しくて辛くて血を吐きながら走り続けなくてはいけないレースは無いと思う。神様なんてお参りする瞬間しか信じてないけどもし本当にいたらこんなものを作りやがって!!って弓矢で地上に撃ち落としてやりたい。お前も人生やってみるといい、本当に辛いから。でも人生辛いのは本当に人によるのでわからない人は本当にわからなくて何でそんなに辛そうなの?(笑)みたいな感じのことを言ってくる。しかも人生の手駒は本当に不平等で、Progress(プロフェッショナルの曲)の歌詞で「ぼくらは位置について横一列でスタートを切った」とあるが、そんなものは大嘘である。(ここまで言っておいてアレですがこの部分だけ同意出来ないだけでこの曲とても好きです…ファンの方、すみません…。)顔面SSRの橋本環奈が私と横一列でスタートを切ってる訳が無いしスタートを切ったところでそれぞれ乗り物が違うだろう。自家用ジェット機やリムジンで私の前を爆速で飛ばし、どんどん差が開いているのが目で見えて死にたくなる人生だったし私と同じように思う人も多分いるだろう。手駒は変えられない、出来る限りのことはするけどカスな性能の私のカードはいくらグレードアップしたところでSSRであるバイト先の若くてかわいいくて愛嬌がある女の子達には敵わない、それは列記とした事実である。誰一人かけがえのない命だけど、私の上位互換なんて5万といる。書いてるだけで死にたくなってきた。

 

「置かれた場所で咲きなさい」という本がある。私はこの言葉がずっと嫌いだった。置かれた場所で咲けるわけないだろと、こんな性能の手札で、産まれた瞬間から詰みじゃん、てかそんなこと言ったら北朝鮮で産まれた人達とかどうするんだよ、咲く以前に生きてくのがやっとじゃん、それに咲ける人なんて全員じゃない、私は咲けない、と。義務教育の時は今思えばきっと大したこと無かった同級生達が本当に眩しく見えて、人と笑顔で話しているのを見るだけで自分が本当にみすぼらしく、惨めに見えた。笑うなんて無理だし生きてくだけで精一杯だし世界はデブスなだけで私が生きることを許してくれない、学年の中でちょっと勉強が出来たくらいでなんだ。私立や国立の子はもっと出来るしそんなものはステータスの足しにもならない。それでも私は笑顔で会話をしているクラスメイトのようになりたいと、焦がれてやまなかった。

 

「置かれた場所で咲きなさい」という言葉には「咲くということは、仕方がないとあきらめるのではない、自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人を幸せにすることだ」という続きがある。笑うのはどうしても難しかった、でも、話しかけた相手が私の話で笑ってくれるのは本当に嬉しかった。こんな私でも友達になってくれる人が出来て、この人達の笑顔をたくさん見たいと思ったし、そう思う相手が増えることは幸せだと思った。勿論、私は自分の置かれた場所には1ミリも満足していないし納得していない。不公平過ぎる。諦めたくないけど妥協せざるを得ないところもある。でも、それでも、私は私の大切な人達に笑っていて欲しいし、私がそう願い続けるには私自身が幸せで無くてはならない。人は自分が不幸である時、人に辛く当たってしまうし疎遠になってしまうし心から他人の幸せ(自分が上手くいっていないことが相手は上手くいっていたら尚更)は祝えないのだ。だから幸せになろう、ならなくてはいけないと思った。美味しいものを食べて、バイトで稼いだお金で欲しいものを買って、100人の中では埋もれてしまうけど10人くらいの中ではそれなりに出来ることを見つけてそれを伸ばした。本当は生きるのなんて怖くて仕方ないけどネガティブな人間に需要が無いことはわかっていたからさも私は人生を楽しんでますなんて顔をして、明るい自分を作り上げて、気が付いたらそれが私の一部となっていた。もしかしたら勘違いかもしれないけど、私と一緒にいることをそれなりに楽しんでくれる人が出来て、多分今の私は「置かれた場所で咲く」ということを理解し、少しは出来るようになったのだと思った。

 

ただ、私は人生の半分近くを死にたいと思っていたりネガティブなことを言ったりして生きてきたので、1人で明るい人間をやっていると時々辛くなってくるし私だって太ってても、ブスでも、隙っ歯でも、可愛げがなくても、頭や要領が悪くても、アトピーで肌がボロボロでも、そのままでも十分いい所があるんだよって認められたくなる。私の努力を評価してくれた人達はいるけど私はそれを素直に受け止められなかったから、もう少し自分のことを好きになったり許したり出来たら良いのに、なんて思う。それにはまだ時間がかかりそうだが、それでも私はまた、焦がれるのをやめられないのだろう。