進路未定無職

隙あらば自分語りする場所です

マジで辛い

金曜日のカウンセリング用に書いた文章なのでくっそ鬱々の鬱です。心が疲れている方が読むと底なし沼に一緒に引きずり込まれる可能性があるので自他境界がはっきりしている方、心が健康な方以外はお勧めしません。また、本当に鬱々の鬱な状態で書いた文章なので、翌朝になったらケロッとしている場合があります。人間、意外とそんなものです。

 

とても辛い。今は水曜日の夜、0時15分。お風呂を出たところ。人身事故のせいで家に帰ったのは23時くらい。12時におにぎりとパンを食べてから飲み物しか口にしていない。RedBullが消化器官を通っていくのがわかるから多分お腹が空いているのだけど感覚としては空いていない。けど食べないと親が多分心配するので余裕があれば後で少し食べようと思う。

 


これからコンサータをRedBullで流し込んで就活の面接用の徹夜でスライドを作る。後17時間くらいで出さないといけないから本当はこんなことをしてる場合では無いのかもしれないけど多分今やらないと明日辛いから先にササッと書いてしまおうと思う。

 


今日はとても辛かった。昨日病院で薬を増量して貰ったから最初は良かったのだけど、途中から何だか上手くいかなかった。多分先生に気を遣いすぎているんだと思う。正しくは頭を使い過ぎていると言うか。先生はせっかちで正確で多分私はそんなに早く正確に出来ないの知ってるからある程度諦めてはくれているのだろうけど、とても譲歩してくれているのだろうけど、処理速度が遅い私を見ているときっとイライラするだろうし何でこの子は院生なのにこんなことが出来ないのだろうって思ってるかもしれない。それに、今まで教わった先生はゆっくりでも良いから丁寧に正確派が多いから前に教えられたことの方が自分に合ってて、だけどそれを注意されてこうした方がいいって言われることが多くて混乱してしまう。

 


私は人より間違えやすいから、チューブに書くペンの色を出来るだけ変えて、同じ名前だけど違う用途に使うサンプルがあったらテープとかを貼って視覚的にも触角的にも間違えないようにして、試薬が多い時や似ている時は一つ一つチェックマークを入れて、わからないところがあれば独り言として声に出すことで聴覚情報として自分に対して聴かせるなど工夫をして実験をしている。今日の実験で作ったサンプルを明日も使うことがあるから、今日ミスしたら明日の私が苦労してしまうし他人に迷惑がかかることが多い。それに少しでも不安になるとパニックになって全てのパフォーマンスが低下してしまうからそれを防ぐためにも一つ一つ着実にやって行くのが1番良いのだ。

 


でも、こうやって一つ一つやっていくのは、多分先生には合わないしイライラすると思う。だから先生が好きそうなやり方に合わせようとがんばるんだけどサイズの合わない靴を履いたら足がもつれて転ぶみたいに不安になって結果的に上手くいかなくなってしまうことがある。本当は前の研究室の時みたいにやることのプロトコル予め全部投げつけてもらえれば自分のペースで考えてまとめてわからないところは質問するし自分のペースで出来るから良いかなって思うんだけど多分先生は私を見てて不安だろうから嫌だろうしトロいから早くして欲しいだろうし難しいなって思う。

 


私だって早くしたい気持ちが無い訳では無い。クリーンベンチは数が限られているから早めに終わらせなきゃいけないし試薬はさっさと入れて冷凍庫に戻さなきゃいけないし、わかってるけど、わかってるけど焦ると注意力が散漫になって失敗するし機械や試薬の数に対して人の数が多いから私トロくて遅いし先に使って貰った方が良いかなって譲っちゃうし何かわからないことがあって人に聞きたい時があってもみんな忙しそうで申し訳なくて話しかけるタイミング見計らうのに数分くらいかかっちゃうし困っている人がいたり宅配便の人がいたら放っておくのが申し訳なくて対応しちゃうしじゃあ全部真逆のことをすれば良いのかっていうと多分それはそれで上手くいかないだろうし何かどうして良いのかわからなくなってしまった。

 


多分先生は私みたいなのが何でこんなところに来たんだろうって思うんだけど、私だってちょっと選択の余地がなかったと言うか無くはなかったし生命科学好きだけど最善がこれだったというかまぁそんな感じで、それはともかくここでADHDをどうにかしないと1年ちょいしたらちょっと天然な普通の24歳一般女性(正社員)をやらなきゃいけない訳だからどうにかこうにか努力はしている訳だけども、如何せんその努力と苦労と苦痛と苦しみは人に見えないから本当につらい。ADHDの友達は私が辛いのを理解してくれるんだけどそれ以外の人間はもう何か他人に対する理解力がうんこ。何でそんなんでトラブル起こさず人生歩んでこれたの????みたいな地雷発言や価値観の押しつけ(例:「生きることは素晴らしいことだよ!」んなわけねぇだろ地獄だわ)を死ぬほどしてくるくせにのうのうと生きていられる辺り私と普通の人や社会の常識や感覚は違うんだなって悲しい気持ちになった。私の居場所は無いのかもしれない。

 


小さい頃からずっと疑問だった。みんな違うけどそれはそれでいいよね、じゃダメなのだろうか。私は暑いのも寒いのも嫌だったし園庭は砂だらけで転んだら傷口が汚くなるし他の女の子たちに仲間外れにされるから表でみんなと遊びたくなくて本を読んでばかりいた。本は楽しい。1人で読んでも楽しいし先生と読んでも楽しいし仲間外れにされないし表には私の苦手なことがたくさんあったけど、本はみんな読まないからいつでも好きなのが読めたし動作もめくって読むだけだから簡単で楽しかった。でも先生にはみなちゃん、お外で遊ばないと健康になれないよって言われて外に無理矢理行かされた。外に行った私の心は健康じゃなくなったしアトピーだから夏は汗で、それ以外の季節は花粉で肌が荒れた。結局私はろくに運動もしないままその先生よりも身長も体重もおっぱいも筋肉量もめちゃくちゃ成長したし体育の授業が無くなってからアトピーが良くなったから多分お外で遊ばない方が良かったのだと思う。別に遊びたかったら1人でお庭か家の前の道路で遊んでたし。

 


要は何が言いたかったかというと、産まれてすぐ集団生活を送らされ、マジョリティの意見を押し付けられ、少しでも周囲と違えば袋叩きに遭い、人の命は尊いですと言いながら今日も今日とて中央線で人身事故が起きているような矛盾したこの世界で、私はこの先生きていくことが出来るのでしょうか。大学院でさえこんななのにもうとても人としてやって行ける気がしないです。でも、自殺の成功率は10%で下手したら二度と自殺ができない体になってしまうかもしれないし、精神病棟にでも入れられたら困るし、とりあえずストラテラで感情を殺しながらどうにかこうにか生きている訳ですが、ここはとても暗くて寒くて凍えそうで、まるで真っ暗な先の見えない雪の道を1人で裸足で歩いているようで、涙が止まりません。前より出来ることは増えたのに、話すのが上手になったのに、ADHDの検査を受けたら人より頭が良いことがわかったから嬉しくて少し自信になったはずなのに、状態は改善しているはずなのに、とても辛いです。多分、改善したからこその辛さというかメタ認知機能と言いますか、他者と自分のどこが違うか明確に出来るようになったこと、そして何故自分が辛いのか理解出来るようになったからこその辛さだと思います。研究室の他の子を見ていて思うのです。動きに迷いがなくていいな、私は今日食べるお昼ご飯もどうしていいかわからなくなってしまうのに、と。私だって知能に問題は無いというかむしろ良い方なのに、誰よりも頑張ってるのに、ADHDでさえ無ければ、もっと違う人生だったのに。でも頑張ったって出来なきゃ意味が無いし多分研究室の誰かにこういう理由で辛いと言ったところで誰も理解出来ないし、頭のおかしな女だとか考えすぎだとか思われて終わりなのです。一般人からしADHDなんてそんなものです。癌だってコロナだっていじめや借金だって、人間はいつだって自分の痛みに敏感で助けて辛いと声高に叫ぶくせに他人の痛みには鈍感であなたのお腹に突き刺さっている槍は幻覚だよ。という趣旨の言葉を平気で吐けるのです。そりゃそうですよね。私の腹に突き刺さっている槍が本物だろうが幻覚だろうがあなたは痛くないのですから。仕方の無いことです。けどそういう人達が大多数を占めているのが人間の社会なら私はもう人生に希望を持てないしお手軽安楽自殺キットが合法的に発売されるのを待つだけの人生になりそうです。