進路未定無職

隙あらば自分語りする場所です

レポートが終わらない院生の現実逃避

高校2年生か3年生の秋だったと思う。まだ誕生日ではなかったから多分10月くらい、私は自殺をしに山梨の無人駅へと向かっていた。きっかけは親と喧嘩したとか些細なことだった。その時の私は今よりも親と折り合いがとても悪く、親がイライラしているところには近付かないようにしたり、使う場所の時間を被らないように工夫すれば良かったものを、学校と塾と実験のレポートに追われていた私にはそこまで気を回す余裕は無くて、朝学校に行くのもとても辛くて起きるのもだるくて自分が生きているだけで精一杯で、勿論スルースキルも無かったので毎日喧嘩していたように思う。

 

その日もちゃんと学校に行く予定だった。提出物は出せなくとも、授業中寝てばかりでも根は真面目なのでサボるという発想は全く無かった。お弁当を持って、教科書を紺の水玉の大きなリュックに入れて、ローファーをつっかけて外に出た。そしていつも通り最寄りの駅から電車に乗って、乗り換えたらあと一駅で学校に着くという時、私は反対側の電車に乗った。どうしても学校に行けなかった。忙しくてあまり寝れてなくて、向いてない大人数での塾に疲弊して、進路も自分が何になりたいかわからなくて、親と喧嘩する度暴力を振るわれて存在を否定されてもう心が限界過ぎた。その時財布に入っていた数千円で、これで行けるところまで逃げてしまいたいと思った。行ったことの無い駅に着いた頃、もう学校には間に合いそうになかった。学校をサボるのは初めてで、先生は怒っているだろうか、クラスのみんなはどうしているだろうか。でも私クラスに友達いないし別に誰も気にしないかな、お母さんだって死んじゃえって言ってたし、毎日殴られていたい思いするくらいなら居なくなっちゃった方がマシかな、なんて考えが数年ぶりに浮かんだ。こんな思いするくらいなら生まれて来なければ良かったんだ。望んでも無いのに勝手にスタートさせられた人生がこんなに辛いなんて聞いてない。物心着いた頃からずっとアトピーや太ってることでいじめられて、頭が良ければ何とか生きていけると言われたから勉強したのにテストで100点以外を取れば怒られ、100点を取れば当たり前という顔をされた。私がどんなに困っても誰も助けてくれないし私が居なくても誰も困らない、私より頭が良くて性格が良くて努力をしなくてもなんでも出来る人はたくさんいるのに私なんかがこんな辛い思いをしてまで何のために生きているかわからなくて頭がぐちゃぐちゃになった。人生なんて辛すぎて今も正気では生きていられなくて意図的に何かに狂ったりするけど、あの数年間は本当に正気では無かったんだと思う。

 

正気で無かった私は終点の駅で目の前にあった電車に乗った。どこに行くかもよくわかってなかった。とりあえずなんか名古屋か長野か山梨かその辺に行くかな、程度しか知らなかった。ただ、この電車で着いた人があんまり居ないところでひっそりと死んだらきっと誰にも迷惑がかからなくていいかな、そうしようって決めた。11時、少し早いけど誰も乗っていないのをいいことに電車でお弁当を食べた。太っていることをとても気にしていたし実際今より太っていた私のお弁当は果物と野菜とドレッシングとおじいちゃんが握ってくれたおにぎりだけで、最期に食べるものとしては何だか悲しかった。もう閉店しちゃった新宿伊勢丹ロイヤルコペンハーゲンのシュリンプのオープンサンドイッチが食べたかったけど、おじいちゃんは私が今日も学校頑張ってると思ってお弁当詰めておにぎり握ってくれたんだなって思うと涙が出て、私が死んでもおじいちゃんだけは悲しんでくれるかな、なんて淡い期待を抱いた。

 

たくさん山が見えて、まばらに家があって、私の知らないところで知らない人が住んでるんだななんて思いながら電車に乗り続けて1時間半ほど経っただろうか、電車がまた終点に着いた。さぁここで死ぬかなんて思って外を見たら意外と人がいて死ぬのは難しそうだった。これ以上遠くに行ったところでそこも栄えてたら困るからとりあえずさっきあった無人駅で降りて死ぬかと計画を変更し、東京方面の電車に乗り換えた。また長いこと電車に揺られ、山梨県のある無人駅で降りた。もう午後だったと思う。初めて無人駅で降りて「無人駅って本当に駅員がいないんだけどどうにかやってけるもんなんだな」なんてアホな感想を抱いてとりあえず降りた。さて、どうやって死ぬか。

 

突発的に出てきてしまったからナイフもロープも持ってないしまずは少し散策してからどうやって死ぬか決めようと思い、駅の周辺を歩き回ったのだが、駅の周辺を歩き回ったというより山に囲まれすぎて土地が駅の周辺しか無かった。とりあえず大きな川を見つけたから飛び降りたらこれは死ねるなと思ったのだが逆上がりも出来ないような私の腕の筋肉と体重では橋の柵の上まで登ることが出来ず、断念した。次にとりあえず富士の樹海みたいに山に入っとけば餓死とかで死ねるんじゃないかと思い、入ろうとしたが山の入口が見つからない、そもそも山なんて遠足でしか来た事がない、私は山に対して無知すぎたのだ。キャンプ場の入口を見つけたけどキャンプ場も飯盒炊爨でしか行ったことがないからよくわからない、キャンプ場に制服の女子高生が1人出来たらめちゃくちゃ怪しまれるだろう…と言うかキャンプ場っていくらかかるんだ…?死ぬのに金がかかるの…?てか私交通費で多分キャンプ場代払えるほどお金持ってないのでは…?ここまで来て詰み…?とまぁこんな感じで私の久しぶりの何十回目かの自殺衝動は見事に未遂で終わり、東京生まれ東京育ちの私は山以外のものが何も見えないことと15時に日が暮れ気温が下がり山の影が大きくなることに非常に恐怖を覚え、(そのせいか今も山が少し怖い)何故か泣きながら当時の部活の先生に電話し、残ったギリギリの電車賃で何とか家に帰ることになった。

 

後日談というものもなく、強いて言うとすれば私は のメンタルは受験期に突入してから更に不安定になり、授業をサボりがちになったり塾を脱走したりなど色々してとりあえず何とか入れた大学で何とかギリギリ卒業し、今は別の大学で大学院生、それくらいである。だからどうということもこうということもなく、これはコロナで怠けた結果レポート提出に追われた院生が現実逃避のために書いた備忘録に過ぎないから別に自殺はダメだよ!とかそういうことは言わないし特に結論も無い、ただの記録なのでここで締めることとする。それでは皆様、良い人生を。